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Shorinji Kempo

黒帯を手にしました

2名の小学生が昇段試験に合格しました。合格したのは、はやと君とまさひろ君。2人には道院から黒帯をプレゼントしました。

帯には自分たちで考えた色と文字で刺繍を入れました。

はやと君は目立ちにくいながらも珍しい色で、「少林寺拳法」という文字を入れました。四字熟語より一文字多いのでプレゼントとしては得してますね。

まさひろ君は逆に黒に映える金茶色で、「自己確立」と入れました。少林寺拳法に限らず、いろんな面で自己確立していきたいそうです。

これからもいろんなことにチャレンジしてもらいたいと思います。おめでとう。

   

法話「上を向いて生きよう」

過去に行った法話の一部を紹介します。

みんなは最近、空を意識して見たのはいつかな?実は空を見ると宇宙とつながってるんだなとか、すごく大きな世界というものを感じることができると思うよ。そうすると自分の存在がとってもちっぽけなものだと感じて、自分が今抱えている悩みがとっても小さくて、悩んでることが少し楽になったりすることがあると思うんだ。

学校の集会とかで体育館に集まることあるよね?そのときどうしても眠い時とかあるでしょ?そのときも天井を見てごらん。その広さと高さに目が覚めるし、あ、あそこにバドミントンの羽根が引っかかってるとか、ボールが挟まってるとか気づいたりして、笑えて来るんだよね。そうすると眠気なんてどっか行っちゃうし、その場がとても楽しくなったりするもんだよ。

普段から下を向いて歩いていると、躓いたりしないし、ひょっとすると何か落ちてるかもしれないよね。でも上を向いて歩くと先が見通せるし、いいこともあると思うんだ。みんなは縁石みたいなものの上に乗って綱渡りみたいに落ちないようにして歩いたりすることないかな?すぐ下を見て歩くとすぐバランスを崩して落ちちゃうんだよ。でもね少し先を見て歩くとこれが落ちないでバランスをうまくとることができるんだ。でも先を見すぎると足を踏み外して落ちちゃうこともあったりね。これって人生と同じかもしれないよね。やっぱり少し先を見て歩くとぶれずに歩けるんじゃないかな。先を見すぎても理想だけになっちゃうし、足元ばかり見てもふらふらしちゃう。

だから共通することは上を向いて生きようよ。きっと楽しく過ごせると思うよ。

令和5年4月度入門式を行いました!

令和5年4月8日(土)、大村三城道院において4月度の入門式を行いました。今回の入門者は3人です。

久しぶり一般拳士の入門者である下野さんはなんと御年64歳にしての手習い。話を聞くと学生時代から少林寺拳法に憧れを持ち続け、ようやく一歩踏み出されたそうです。だから少林寺拳法の教えや特徴も十分理解されたうえで入門されたすごく希少な方です。しかも縁あってここ大村三城道院を選んでいただきました。なんと毎回1時間かけて参座されてます。一方、もう2人は小学5年生さとしくんとゆうまくん。二人とも共通の知人の紹介で今回入門することとなりました。3人には緑の輪袈裟を身につけていただきました。

導師法話では、この縁を大切にしたいことから、森信三先生の『人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。』を紹介しました。

そしてネットで森信三先生のお言葉を検索しようと「おそすぎないうちに」と入力したところ、東日本大震災後に作られたこの曲に触れ、歌詞に感激したことから、この歌詞をみんなで確認しながら、今日という日が当たり前のようで実はそうとは限らないこと、だからこそ今を大事に生き、伝えたい言葉はしっかり伝えていこうということを紹介しました。最後にこの曲を聞きながら歌詞を味わいました。みんな感動していたようです。よろしければこの曲を一度聞いてみてください。大変素敵な曲ですよ。

 

     「 おそすぎないうちに 」 

             作詞・作曲 中山真理

なくしてしまってから その大切さに気づいて
悔やんだり 悲しんだりしても遅すぎるよ

もしかしたら 一番この世で大切なものは
ふだんあまり身近すぎて 気にもとめていないかも

今あるすべてのものは 当たり前なんかじゃなく
今あるすべてのものが 奇跡的にあるとしたら
君はどうやってそれを守るだろう

おそすぎないうちに まにあう今のうちに
できるかぎりのことをしよう
生まれてこられた お礼に

なくしてしまってから そのあたたかさに気づいて
悔やんだり 悲しんだりしても遅すぎるよ

もしかしたら 一番この世で大切な人は
当たり前と決めつけてて いると疑わないかも

生きているすべての人は なんとなくなんかじゃなく
生きているすべての人が ぎりぎり生きているとしたら
君はどうやってそれを愛すだろう

おそすぎないうちに まにあう今のうちに
できるかぎりのことをしよう
生まれてこられた お礼に

法話「席を譲ることについて」

過去に行った法話の一部をご紹介します。

皆さんは、電車やバスに乗りますか?大村に住んでいるとあまりそうした機会が少ないかもしれませんね。でも高校生くらいになって大村市外へ通学したり、街に出かけたりするようになると、JRやバスに乗る機会も増えてくるかもしれません。そうしたとき、席が空いていたら座るでしょうが、徐々に人が増えてくると、座れない人が増えてきます。自分の席のそばにも立っている人がいるでしょう。そのようなとき皆は席を譲ることができるでしょうか。

長崎の人は元来、県民性として人が優しいので、バスやJRに乗っていると、若い学生の子が席を譲っているシーンを見かけることがよくあります。傍から見ていてもとても気持ちのいいことですね。しかし、都会の通勤電車に乗ると、それどころではありません。仕事自体が戦場で、その行き帰りにいかに体力を温存するか。そのために早い時間に出て、ホームの最前列に並んだり、2~3駅戻って空いている駅から乗車したり。そうなると譲などということは毛頭ないですよね。ましてや疲れをとるために本気で寝入ってしまうと、傍に立たれても分からないわけです。

私も学生時代に部活で疲れて寝入ってしまい、目が覚めた時に傍に人が立っていて、ということはありました。しかし、そこですぐに目を覚まして席を譲るのがいいのか、その勇気というか行動力がなく、ついそのまま狸寝入りをしたこともあります。

また、新幹線の指定席に座っているとき、お盆や連休最終日の混雑時期になるとそういう車両の通路にも立って乗る人が出てきます。もちろん自由席なら堂々と席を譲るでしょうが、ちょうど隣におばあちゃんが立っていた時がありました。この時ばかりは私はすごく悩みました。なぜなら指定席券を買って乗っているわけですから、自由席料金だけで乗り込んできた人に席を譲るというのはそもそもお人好しなのではないかと。そのときは確か「どこまでですか」って聞いて、座ってもらった覚えがあります。しかし、感謝しながらもどこか気まずい表情が見えた気もしました。皆さんならどうするでしょうか。

席を譲ろうとしたけれど、次降りるから大丈夫よと言われて、なんだか恥ずかしい思いをしたり、逆にそんなに老いぼれちゃいないって断られると、気まずいというか、かえって「譲ってあげてるのになんだよその態度?」みたいなことになったり。

そんなとき、「ありがとう。でももう降りるからだいじょうぶ。気を遣ってくれてありがとうね」なんて言われたらとっても嬉しくなったり。

お互いがお互いを援け合って、尊重し合えるとすごく気持ちがいいし、それが少林寺拳法で言う「自他共楽」の世の中というんじゃないでしょうか。

法話「空き缶にタバコの吸い殻」

過去に行った法話の一部をご紹介します。

私は犬を飼い始めて4年たちます。保健所に勤務しているときに、飼えなくなったので引き取ってもらいたいとの申し出があり、保健所で新しい飼い主を探していた大人の犬2頭のうちメスをうちで飼うことになりました。とても大人しいですが、しつけはあまりされていないため、散歩のときにはリードをグイグイ引っ張りながら歩きます。

はじめのうちはしつけをしようかと試みましたが、10年以上そのような飼い方をされていたため、なかなか治らなかったことから、なんとか人のペースで歩けるくらいにはしつけたつもりです。もう15歳くらいになります。

この犬を飼い始めてから毎日散歩をしていますが、はじめうんちを取るためにコンビニ袋だけを持って歩いていましたが、拾いにくいことから割り箸を持って行って袋に入れることにしました。毎日新しい割り箸を使うのはもったいないので、お弁当を食べた時には割り箸を持って帰ること、うんち用の箸は、汚れや傷みがひどくなってきたら交換することとして、それまではくり返し使うこととしています。いわゆるSDGsですね。

この世の中よくできたもので、割り箸に若干残ったうんちは、裏庭に置いておくと翌朝にはナメクジがきれいに掃除してくれています。まさにWIN-WINの関係です。

さて、犬の散歩を始めてから2週間ほど経った頃でしょうか。道端に落ちたゴミが目につき始めました。犬を散歩させながら自分の犬のうんちだけを拾っていましたが、どうせならそのゴミも一緒に拾えば袋を有効活用できると思い、それ以来ゴミ拾いをするようになりました。

一番多いのは、やっぱりタバコの吸い殻です。あとはたぶん犬の散歩のときなどに使用したと思われるティッシュやタバコの空き箱、お菓子の袋や使い捨てマスクなどがあります。

空き缶は拾って近くの自動販売機の横のゴミ箱に入れたり、傷んでいる場合は持ち帰って燃えないゴミの日に出しています。ゴミの種類でも、ひどいものは、コンビニ袋にお弁当やペットボトル、空き缶などが一緒に入った状態で捨てられています。きっと車からポイ捨てしたのでしょう。自分のまわりからごみが無くなればいいという非常に無責任な大人がいるのは今も昔も変わらないようです。こういうとき非常に腹が立つのですが、一度袋を開けて、燃えるゴミと燃えないゴミに分別しています。

そうした中、非常に困ったゴミに遭遇しました。タバコの吸い殻が目いっぱい詰め込まれた空き缶のポイ捨てです。これを捨てた人が私には理解できないのです。もちろんタバコを吸わない私ですから、特に理解できないのですが。これを捨てた人はタバコは普段から吸っているのでしょうから、基本的にはマイ灰皿を持つことが常識ですが、身の回りにないとき、喫煙者が自分が飲んだコーヒーの空き缶なんかに吸い殻を入れているのを目にしますね。その繰り返しによって空き缶いっぱいに吸い殻がたまってしまったと。空き缶のリサイクルにとって、タバコを入れてしまうと非常にきれいに中を洗わないとリサイクルできない代物です。ただ、まあここまでは昔からよくある話です。ではこの缶をどう処分するつもりで使い続けてきたのでしょうか。きっと後先考えず使ってきたのでしょう。自分から吸い殻を取り出して捨てる人も中にはいるのでしょうが、あの小さい飲み口から吸い殻を取り出すのは至難の業です。今回、空き缶もアルミ製で、傷みもあったので、ペンチで開いて中を取り出して燃えるゴミに、空き缶部分は燃えないゴミとしました。中は燃えるゴミなのに外は資源ゴミもしくは燃えないゴミなので、そうした煩わしさで、つい道路わきにポイ捨てしたのでしょうか。ではそれを誰が片づけるか考えたのでしょうか。やっぱり自分の周囲からゴミがなくなればいい、それだけの観点しかないはずです。そういう大人がいることで、この社会がうまく回らないことだってきっと多いのではないかと、つまり、この問題はゴミだけの話ではなく、人が生きる上で、自分がやりたいようにやって、それ以外に迷惑をかけていることを全く考えようとしない人がいるわけです。そして、それは犯罪者ではなく、ごく普通の隣人がやっていたりするわけです。開祖がおっしゃられた「正直者がバカを見ない世の中をつくる」ため、「半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを」のとおり、半分は他人や社会のことを気にかけて生きていくべきだと思うのです。

法話「牛丼屋さんの時計について」

過去に行った法話の一部をご紹介します。

 今日、昇級試験に車で4人で会場に向かうとき、交差点にある牛丼屋「〇〇家」の上の時計を見たんだよね。そこでふと不思議に思ったんだけど、みんなはどうして店の屋根のところに大きな時計があると思う?

「そこを通る人に時間が分かるように」

「空港に行く人のため」

 うん、そうだね。そこを通る人たちのためにつけてくれたのはありがたいよね。これは社会貢献活動とでも言うべきものなのかもしれないね。でもこの牛丼屋さんはそのためだけに取り付けたのかな?牛丼屋さんにとってはお店の中に時計があれば済むわけだよね。

 実は私はあることに気づいたんだ。それはね、時計を見たらわかるんだけれど、時計を見ようとすれば必ずすぐそばにある牛丼屋さんの看板が目に入るんだよね。つまりあれは広報活動の一環でもあると思うんだ。すごく考えられた方法だよね。たとえその時牛丼屋さんに行かなかったとしても、看板を見ているうちに潜在意識の中で牛丼屋さんに行きたいなあって気持ちが生まれるかもしれないよね。

 今日話したいことは、「なんでだろう?」って関心を持つことが何をやる上でも大切なことじゃないのかなあってこと。そうすれば記憶にも残りやすいし、人生を楽しめるんじゃないのかな。

法話「ペーパータオルの使い方での気づき」

過去に行った法話の一部をご紹介します。

 はい、作務お疲れさま~。今さ、みんな手を洗ってペーパータオル使ったよね。どのペーパータオル使ったかな?新しく出したほうのペーパータオルを使った人?

(全員手を上げる)

 すぐ横にある残り少ないペーパータオルがあったのは気づいたかな?

じゃあ、みんなはどうして新しいほうから使ったのかな?

(ある拳士)よりきれいそうだから、かな?

 なるほど~。でも本当にそうなのかな?実は終わりかけのペーパータオルは袋の下のほうに2~3枚あって袋の中に手を入れ込まないと紙が取れないけれど、新しい方は袋いっぱい入ってて一番上の紙がとりやすい形で跳び出てるから無意識で取りやすい方から取ったんじゃないのかな!?

 実はこの少ない方のペーパータオルは数日前からこの状態なんだよね。つまり、数日間みんなは新しい方からペーパーを取ったということ。人の心理というのはそういうもんなんだよね。でも私は敢えて少ない方の袋をそのままの状態で使ってたんだ。多分使いやすくすればみんなが使ったのかもしれないね。でもそういうところに目が向けられる、そんな人になってほしくて実はそのままにしてたんだ。

 実はスーパーやホームセンターなどのトイレで、ペーパータオルの袋とか数枚の紙、トイレットペーパーの芯などが床に落ちている場面を見たことないかな?今日みたいに少ない量のペーパータオルが置かれていたら、やっぱり同じように残り僅かのまま置かれっぱなしになると思うんだよね。軽いもんだから人が通るたびに風が起きて、いつしか床に落ちてしまう・・・そんな結末かもしれないね。最後の紙を使うことで袋のゴミをつかまされることになるのもいやだから使わないのかもしれないしね。だから、こういう場合は普通、そうならないようにお店側で工夫するということが大事なんだと思うけれど、そういう場面で敢えて、「じゃあ私がこれを使って手を拭けば、ゴミもゴミ箱に入れればいいだけだし、無駄にならないからやってあげよう」とかいうちょっとした気遣いができるといいなあと思うんだ。些細なことだけれど、人の困っているところに気を配れたり、気配を察知したり、そんなちょっとしたことに気遣いができる人になってもらいたいなあって思うんだ。

 たとえば大きな飲食店とか複合施設とかに行くと、トイレなんかでスリッパとかサンダルがたくさん並んでいることがあるんだけれど、まずきれいに並んでいることは少ないね。だからそんなとき私はなるべく人が見ていないときを見計らって並べてから手を洗って出てきたりするんだ。それとね、居酒屋さんとかで男性トイレだけれど洋式便器の場合、床や便器に小便や手洗いの水なんかが跳び散ってたりするんだよ。私はだいたいそうした時は、トイレットペーパーを使って床や便器の跳び散ったところを拭き上げてから個室を出るようにしてるんだ。そうやって汚れているのに気づいているのに、そのまま何もしないで出てくるのが気持ち悪いんだよね。次の人も汚いなという気持ちになるだろうし、次にもう一回自分が使う時に同じ状況だとまた同じ気分になるからね。

 道訓に「神仏すなわち霊なり。心に恥ずるところなくんば神仏にも恥ずるところなし」「人見ずと言えども、神仏すでに早く知りて」とあるように、自分が気づいたことは自分がやる、そのことでいつもみんなに話している「徳」が身につくんだよ。そしてそれが人柄になっていくんだよ。

勤続10年表彰を受賞しました

 

 先代の立石靖治先生が大村三城道院を設立して20年目となる2022年、二代目のわたくし才津が勤続10年表彰を金剛禅総本山少林寺からいただきました。道院長交代まもなく専有道場へと修練場を移し、10年間継続してこられましたのも、様々な縁があってのことです。先代立石先生にはそれこそお亡くなりになる半月前まで道院で指導にあたっていただきました。また、家族の協力あって道場を構えることができたこと、右腕として永らく指導いただいている陣内さん、また県内外の先生方や門下生及びご家族の皆様方の温かいご支援の賜物です。感謝しかありません。

 10年を記念して、道院の皆様方から銀刺繍の黒帯を帯袋を添えていただきました。サプライズということでとっても驚いたたとともに、非常にうれしかったです。本当にありがとうございました。またこれからの10年を精一杯頑張っていきます。

 

 

 

 

 

令和5年新春法会を行いました

令和5年1月8日(日)大村三城道院において令和5年の新春法会を行いました。

昨年は、「withコロナ」として活動を再開しつつも、第6~7波の感染拡大時期には修練をお休みにすることもありましたが、幸い道場での発生はない状態で修練を続けることができました。まだまだマスクは離せませんが、だからと言って修行は欠かせませんので、これからも気をつけながら自己確立に努めていきたいものですね。

さて、新春法会では教典唱和のあと、門信徒代表挨拶として6年生の「はやと君」に挨拶をしてもらいました。昨年立てた目標がうまく達成できなかった反省を元に、今年は初段受験と中学進学後の勉強、部活動の両立を宣言してくれました。

表彰では、残念ながら皆勤賞はいませんでしたが、精勤賞として第1位「けい君」、第2位「だいち君」が表彰されました。2人は、総参座日数113日のうち、99日、96日の参座でした。大変すばらしい!また、入門後6カ月しか経たないのに、65日も参座した「ゆうき君」には特別賞を授与しました。受賞者にはミニ賞状と、気持ちばかりの副賞をお渡ししました。(よく頑張った!!)

導師法話では、大村三城道院の名前の由来、20年が経過したこと、今年の大村三城道院の目標についてお話ししました。まずはここにいる一人一人のやる気と満足度を高め、ここから自他共楽を築いていきたいものです。

奉納演武は、今年、初段受験予定の6年生「はやと君」と5年生「まさひろ君」に演武してもらいました。キレのある演武で、場をキリっと引き締めてくれました。

そして閉式となるはずでしたが、司会の陣内先生からプログラムにはない進行があり、な、な、なんと・・・。わたくし道院長に、勤続10年の節目として保護者等有志ご一同様から目録をいただきました。大変、驚くとともに、非常にうれしいサプライズでした。ありがとうございます!そしていただいたのは、七段以上もしくは六段の所属長が着けることができる「資格別特注帯(銀)+帯袋」でした。非常に高価ないただきものでした。感謝、感激であります!!

終了後は、みんなで記念撮影後、いつものように書き初めを行いました。個人個人、思い思いの言葉をしたためました。

いつもでしたらそのあと会食というところですが、本県もコロナウイルスが流行期であることから、お弁当を持ち帰っていただくこととして、90分で終了となりました。そのため、今年のお弁当はいつもの3倍の贅沢な仕出し弁当です。英気を養ってまた修練に励んでまいりましょう。今年もよろしくお願いします!

教典唱和

教典唱和

門信徒代表挨拶

精勤賞授与

導師法話

保護者のみなさま

奉納演武

小山はやと拳士 - 才津まさひろ拳士

書き初め

文字はひとりひとり自分で考えます

普段あまり声が出せていなかったので(^^♪

止め、跳ねをしっかりと書いてます。

私も大きな声を出すことから(^^♪

成長という字も少しずつ成長してるかな!?

サプライズいただきました。感激です!!

帯を頂戴しました。ありがとうございます!

豪華な仕出し弁当!おいしかった。

今年はこの目標でみんなで頑張っていきましょう!

 

令和4年度「子どもスポーツチャレンジ」

大村市において令和4年度から取り組みを始めた「子どもスポーツチャレンジ」において、少林寺拳法を行いました。これは(一財)大村市・文化スポーツ財団が主催、大村市教育委員会が後援となり、神経系の発達が著しいプレゴールデンエイジといわれる5~8歳の子どもたちを対象に、脳の発達時期に合わせて様々な運動を経験させ、運動の楽しさの実感や向いているスポーツとの出会いの場を作ることを目的として、小学校低学年である1年生から3年生を対象に、月替わりでスポーツを体験させていくというプログラムです。

今回、スポーツとして選ばれたのは、「スポーツクライミング」「ニュースポーツ・パラスポーツ」「ソフトテニス」「少林寺拳法」「タグラグビー」「フットサル」でした。8月から6か月間、各月2回の体験×6競技=全12回に参加できることを条件として集まった約20名の児童に体験させるというものです。各競技1回あたり90分を2回行うというもので、我々少林寺拳法は12月2日と12月9日の2日間対応しました。

少林寺拳法に触れる

小学1年から3年までの20名に少林寺拳法に触れてもらうという命題に対してどうすすめていこうかと考えました。そして考えた結果、次のことをやってみることにしました。

(1)少林寺拳法と武道と護身術について

(2)心と体をきたえる

(3)相手のため、技術の基礎を学ぶための振子突きと蹴りの体験

(4)技の体験(内受突、上膊抜、天地拳第一系)

(5)最後にみんなで発表

1日目(12月2日金曜)

【対応】大村西道院(坂口、黒崎、安永、信太、すぎもと君、あつき君)

    大村三城道院(才津)

【概要】坐禅と黙とう、突きと蹴り、内受突と抜技(寄抜、巻抜、上膊抜)、天地拳第一系(練習)、演武披露(小中学生、一般有段拳士)

2日目(12月9日金曜)

【対応】大村西道院(黒崎)

    大村三城道院(才津、陣内、ゆうき君、けい君、のぶ君)

【概要】坐禅と黙とう、ミット打ち、胴蹴り、発泡スチロール棒蹴り、天地拳第一系(練習と発表)、内受突・上膊抜(学年ごとに練習と発表)

結果

まだ、この後の体験プログラムがあるため、ただちに入門者は出ませんでしたが、参加した子どもたちからは「楽しかった」という言葉が聞かれました。また、保護者さんからいつどこで練習しているのかと尋ねられる場面もありました。今後、ご縁があるといいなと思っています。