法話「ペーパータオルの使い方での気づき」

過去に行った法話の一部をご紹介します。

 はい、作務お疲れさま~。今さ、みんな手を洗ってペーパータオル使ったよね。どのペーパータオル使ったかな?新しく出したほうのペーパータオルを使った人?

(全員手を上げる)

 すぐ横にある残り少ないペーパータオルがあったのは気づいたかな?

じゃあ、みんなはどうして新しいほうから使ったのかな?

(ある拳士)よりきれいそうだから、かな?

 なるほど~。でも本当にそうなのかな?実は終わりかけのペーパータオルは袋の下のほうに2~3枚あって袋の中に手を入れ込まないと紙が取れないけれど、新しい方は袋いっぱい入ってて一番上の紙がとりやすい形で跳び出てるから無意識で取りやすい方から取ったんじゃないのかな!?

 実はこの少ない方のペーパータオルは数日前からこの状態なんだよね。つまり、数日間みんなは新しい方からペーパーを取ったということ。人の心理というのはそういうもんなんだよね。でも私は敢えて少ない方の袋をそのままの状態で使ってたんだ。多分使いやすくすればみんなが使ったのかもしれないね。でもそういうところに目が向けられる、そんな人になってほしくて実はそのままにしてたんだ。

 実はスーパーやホームセンターなどのトイレで、ペーパータオルの袋とか数枚の紙、トイレットペーパーの芯などが床に落ちている場面を見たことないかな?今日みたいに少ない量のペーパータオルが置かれていたら、やっぱり同じように残り僅かのまま置かれっぱなしになると思うんだよね。軽いもんだから人が通るたびに風が起きて、いつしか床に落ちてしまう・・・そんな結末かもしれないね。最後の紙を使うことで袋のゴミをつかまされることになるのもいやだから使わないのかもしれないしね。だから、こういう場合は普通、そうならないようにお店側で工夫するということが大事なんだと思うけれど、そういう場面で敢えて、「じゃあ私がこれを使って手を拭けば、ゴミもゴミ箱に入れればいいだけだし、無駄にならないからやってあげよう」とかいうちょっとした気遣いができるといいなあと思うんだ。些細なことだけれど、人の困っているところに気を配れたり、気配を察知したり、そんなちょっとしたことに気遣いができる人になってもらいたいなあって思うんだ。

 たとえば大きな飲食店とか複合施設とかに行くと、トイレなんかでスリッパとかサンダルがたくさん並んでいることがあるんだけれど、まずきれいに並んでいることは少ないね。だからそんなとき私はなるべく人が見ていないときを見計らって並べてから手を洗って出てきたりするんだ。それとね、居酒屋さんとかで男性トイレだけれど洋式便器の場合、床や便器に小便や手洗いの水なんかが跳び散ってたりするんだよ。私はだいたいそうした時は、トイレットペーパーを使って床や便器の跳び散ったところを拭き上げてから個室を出るようにしてるんだ。そうやって汚れているのに気づいているのに、そのまま何もしないで出てくるのが気持ち悪いんだよね。次の人も汚いなという気持ちになるだろうし、次にもう一回自分が使う時に同じ状況だとまた同じ気分になるからね。

 道訓に「神仏すなわち霊なり。心に恥ずるところなくんば神仏にも恥ずるところなし」「人見ずと言えども、神仏すでに早く知りて」とあるように、自分が気づいたことは自分がやる、そのことでいつもみんなに話している「徳」が身につくんだよ。そしてそれが人柄になっていくんだよ。

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