最新の記事 | 島原城南道院 | Page 13

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Shorinji Kempo

法を問い学を修める  vol.62 法座のすすめ

法座のすすめ

『私達は信をおなじうし、道をともにする人々の結合によって、真の意味における僧伽(佛教者の結合)を設立せんと念願するものである。』(『教範(初版・復刻版)』第四章宗教編三「主張」)
 金剛禅は人の心を改造することで拝み合い、援け合いの理想境建設を目指している。
 その手段として主行たる易筋行と鎮魂行とを両輪の修行として取り組んでいる。
 そして、この道を行じるための意味を改めて確認する機会として、金剛禅の儀式には「入門式」「新春法会」「開祖忌法要」「達磨祭」などがある。

 これらの儀式は布教の一環として、門信徒はもちろん、家族や金剛禅の活動を支援してくれる人達に教えを正しく理解してもらう絶好のチャンスである。
 法話を通じて繰り返しこの道が「人づくり」のために創始された目的を明確にすることで、一人でも多くの人々に理解を高めることができる。
 また、日々の修練の節目に金剛禅門信徒の修行法である内修の消極的に分類されている「感謝行」「反省行」「持戒行」にも心を配り、調和のとれた修行を行うのに適した「法座」がある。
 阿羅漢会=「感謝行としての場」、布薩会=「反省行としての場」、法座=「修行内容の点検や行動目標設定などの場」が用意されている。
 阿羅漢会としての感謝行は、拳士はお互い住居は別々でも食事を共にすることで食養の意義や共食を通して共に僧伽(さんが)の仲間意識を高めることが出来る。
 拳士や保護者は、お菓子や飲み物、果物などを持ち寄り、場を盛り上げるような企画をして食卓準備を整え、儀式の中に「鎮魂行」「褒賞」「感謝のことば」「法話」などの式次第を入れ、阿羅漢会の意味を伝える。褒賞には大会への出場者や、昇級・昇段試験での合格者、さらには学校等での表彰者をお祝いし、日常生活の中で些細な事にも感謝の心を持ち、その心境を全員の前で発表する。そこには喜びがあり、笑顔があふれている。

 布薩会としての反省行は、初期の仏教教団においても僧伽に所属する出家修行者が一ヶ月のうち二度、懺悔する時期が決まっていた。例えば『満月の晩になると必ず「ウポーサタ=布薩」という儀式が行われる。その時に代表になった人が真中に出て「戒本」というものを唱える。戒本というのは、そういうことをしてはならぬ、こういうことをしてはならぬという規則である。その規則を一カ条ずつ唱える。暗記しているのを唱える「こういう罪を犯した者はいないか」と一カ条ずついうのである。そうすると罪のないものは沈黙していた。黙っていた。経典に「罪のないものは沈黙していよ。罪を犯したものはそれを懺悔せよ」と書いてある。たとえば「嘘は言わなかったであろうな」ということをいうと、嘘をついた者は立ち上がって「わたしは実はこうこういうときに嘘を申しました」といって懺悔する。自発的にいうのである。』(「いのちの風光」紀野一義著 筑摩書房)

 道院においても「布薩会=反省行」を不定期に実施することによって修行に向き合う人が真実の魂に触れ「良く整えし己れこそ」へと変わっていける。
 多くの法話が一方的に布教されるのに対して、参加者全員が車座になっていろいろなテーマ(例えば修行内容の点検や行動目標の設定)を相互に話し合いながら教化し合う方法に「法座」がある。
 これらの法座が信を同じくする人たちにより、日常生活の具体的な悩みや悲しみにも向き合い、ともに語り合って苦悩を乗り越え、人生を精神的に強く、安らかな心で生きていける教化の場となれるように取り組んでみませんか。
 (2019年1月1日 文/飯塚 久雄)

法を問い学を修める  vol.46 皮肉骨髄の訓戒

2016年6月1日に金剛禅総本山少林寺広報誌「あ・うん」に執筆した「皮肉骨髄の訓戒」

 達磨大師は中国の梁の時代に正法を伝えようとはるばるインドからやってきて、武帝との有名な問答で理解を得られず、梁都を去って魏の国へ行った。よく達磨図に、葦の葉に乗って川を渡る姿が描かれているのは、このときのことだという。達磨大師の弟子に慧可、道育、尼総持、道副という四人の弟子がいた。有名な「皮肉骨髄」の訓戒というのがある。四人の弟子たちに、修行によって得られた仏教の本質・禅の要旨を問うたときの問答は、次のようであった。
 「道副は『私は、文字にとらわれず、また文字をはなれないで、仏道を行じます』と答えると『汝はわが皮を得たり』と達磨はいう。
 尼総持がいった。『私が理解しておりますところは、愛欲も怒りもしずまって、よろこびは、仏国をみるようです』
 『汝はわが肉を得たり』と達磨はいう 。
 ついで道育が『物を構成する地水火風の四大も、因縁がつきますと空になり、またすべての事物は、色受想行識の五蘊が仮に和合してできているので、もともと有ではなく、一法として得べきものはありません』
 『汝はわが骨を得たり』と達磨はいう。
 最後に慧可が、ただ黙って達磨に礼拝して、もとの位置につく。それをみて、『汝はわが髄を得たり』と達磨はいう。
 『むかし、如来は正法眼を迦葉大士に付し、転々としてわたしに至っている。いま。お前に 付すから護持しなさい』と達磨は慧可に『法信とする』といい、伝法の偈を示した」(『禅とは何か』水上勉著より引用)
 これらの訓戒から、達磨大師が慧可を後継者としたのは、釈尊がある日、弟子に説法しているとき、一本の花をひねって見せたが、誰もその真意が分からず沈黙していたときに、摩訶迦葉だけがにっこりと笑った。釈尊は、言葉で言い表せない奥義を理解できる者として、彼に伝法の奥義を授けた。この拈華微笑(ねんげみしょう)の故事から、他の三人が論を立て、悟りの中身を言葉で伝えようとしたのとは対照的に、慧可が黙って達磨に礼拝して元の位置についたことは、以心伝心を尊ぶ禅の不立文字(ふりゅうもんじ)の真髄を表している。慧可の命懸けの入門や、他の弟子との問答も、達磨大師が伝えようとした核の部分が後の祖師たちに相承されたが、五祖・弘忍のときに六祖・慧能を法嗣としたとき、二派に分かれた。神秀の禅が、やがて北宗禅といわれて、「漸修漸悟」を標榜し、慧能の禅は南方方面へ広がって、「頓修頓悟」の禅を標榜するようになった。
 北禅の宗風を伝承している少林寺拳法は、一段一段、階段を上がるように修行を積み重ねていく「漸々修学」という修行方法であり、勝負や試合によって優劣を決めたり、他人との比較によって決めるものではない。したがって、修行の評価はあくまで修行した法の質と量と、それに伴う精神的修養度を試験により検定して定められることになっている。
 そのためには、その資格に到達したからそれでよしとするのではなく、その教えを社会の中でどう実践していくかにかかっている。
 日常生活の場面で、金剛禅門信徒としてふさわしい生き方をしているだろうかと、行動を通して自問してみることで、修行が自分の精神の根底にどっしりと根づいているのか、知識だけなのかも見えてくる。
 達磨大師の教えを受け継いだ弟子たちと同じように、開祖が伝えようとした真髄を会得すべく精進し、その教えをさらに、これから続く人たちに向けて伝えていかなければならない。
(文/飯塚 久雄)

 引用文献 水上勉著「禅とは何か それは達磨から始まった」

 

 開祖忌法要

5月13日(土曜日)午後8時から島原城南道院において開祖忌法要を行いました。

司会を福島操拳士が行い、本日は導師を御厨道場長が務めました。

導師献香 教典唱和 表白文奉読 門信徒献香                                                                と厳かな雰囲気の中はじめての導師とは思えない堂々とした所作でした。

御厨導師法話では                                 

今日は5月13日 1980年5月12日亡くなられて43年になります。

私は開祖と直接会ったことはないのですが、ただ飯塚先生からいつも開祖の事を話してくださったり、武専に行くと開祖法話学習があり、開祖の声で法話が聞けます。           

本とか読んだりして間接的にしか開祖を知るという事しかかなわないのですが開祖ってほんとにすごいな、愛にあふれた方だなと感じます。

「強さとは何か」という本に開祖の生い立ちが書かれています。

開祖が家族を失い天涯孤独になられたのは16歳ですから高校生1年生の年齢ですね。 

その当時、力のない自分へのやりきれなさや、社会の理不尽さや戦争中のつらい時期を乗り越え敗戦後日本に帰られてから、平和で豊かな世界を作るために少林寺拳法を創始されました。

 

1947年10月に創始されて今年76年目になります。開祖のおかげでこうして少林寺拳法を学ぶことが出来ています。

 みんな、おぎゃー!と生まれてからそれぞれ、自分の道を歩んでいます。         親であっても兄弟であっても一緒に過ごしているけど自分だけの道を歩んでいます。     みんな年齢も違い、住まいも学校や職場も違うのにこうして同じ時間を共有しています。あたりまえでない、とてもありがたいことを忘れないようにしたいと思っています。

毎日、まいにち過ごしていると不安な時、忙しいとき、孤独を感じるとき、一人取り残されているのかな~と感じるときもあります。 大きな雪だるまのようにつぶされそうと思うけど、実は小さな小石ほどの事だったりします。

今日をきっかけに、自分のことを振り返って何か1つでも行動を起こしてみてください。ちょっとしたことでいいのでまずは行動しましょう」と話がありました。

 

管長法話 Vol.99 金剛禅は人間尊重の教え

合掌
 6月に入りました。新年度が始まって早2か月、新しい環境にもいよいよ慣れてきた頃ではないでしょうか。
 さて、先月は本山で道院長講習会が行われ、一次の2日目には開祖忌法要が執り行われました。

 その中で、「金剛禅は人間尊重の教えである」ことをお話しさせていただきました。 
 私たちは誰もが宇宙の大いなる力、ダーマの分霊を持つ可能性の種子であり、誰もが修行によって人格を高め、成長していくことができます。

その修行は、徒手格闘、護身の技術を用いながらも、相手を倒すことではなく、同じダーマの分霊を持つ人間同士、互いの可能性を信じて、共に成長していくことを願って行われます。この心持ちで修行するからこそ、自分自身を拠り所としながら、自分の幸せだけでなく、相手の幸せも考えて行動できる人を育てることにつながっています。
 

 また、私たちは日々、金剛禅の教えを学び、ダーマの徳性を発現すべく修練を行い、そこで得たものを日常生活や社会活動の中で生かそうと努力しています。それを続ける中で、生きている喜びや、生かされていることへの感謝、人と人とのつながりがもたらす心の豊かさや幸福感が大きく育っていきます。平和や幸福は、誰かの犠牲の上には成り立ちません。時間はかかってでも、自分の周りから平和で豊かな社会を広げていく以外にありません。
 そして今、私たちに与えられている命は一生に一度きりのものです。どうか与えられた命を、生きている間に存分に使って、多くの人を幸せにし、社会に役立てていってください。
 今月も私たちの内にあるダーマの徳性を存分に発揮していけるよう、共に金剛禅運動に邁進していきましょう。
合掌再拝

金剛禅総本山少林寺 管長法話 Vol.98 行動が成長を促す

Vol.98 行動が成長を促す

合掌
 5月に入りました。12日には開祖宗道臣の命日があり、全国の道院で開祖忌法要が営まれます。そして、今月は開祖の自他共楽の教えを社会に向けて実践する宗道臣デー月間です。osawa

 宗道臣デーでは、各地で地域の清掃、福祉活動、交通安全の啓発など様々な社会貢献活動が行われます。慈悲心や勇気、行動力は誰もがその種を持っていますが、私たちはそれを使うことで、経験を積み、その使い方を学んでいきます。そして日頃、道院で学んだことを具体的な行動として実践し、その行動が相手の喜びとなって返ってくる。それが門信徒の成長を促し、道院の一員としての誇りを高め、私たちの運動の更なる活力となります。
 また、社会に役立つ行動を道院行事として取り組むことに意味があります。一人の力だけで行うのではなく、周囲と協力しながら行うことが大切です。一人の人間の力は限られています。仲間の協力を得たり、地域の方の理解を得たり、その過程でより多くの力を結集することで、大きな活動に取り組むことができます。開祖もそのように協力者を増やしながら金剛禅運動を広げていきました。
 社会全体がコロナ禍を抜けつつあります。暖かい日差しとともに若葉が広がっていくように、私たちも宗道臣デー活動を通して金剛禅運動を広げていきましょう。今月も共に修行に励んでまいりましょう。
合掌再拝

 

 

道院長法話 あうん、よりvol.48 修行の目的と手段

教学委員会在籍中に、「あうん原稿を1380文字書いて提出してください」と今から7年前に何を書こうかと考えた時に、何のために修行を続けているのかと考えた。人づくりの手段としての金剛禅が技の魅力の虜になり、いつしか技の修練に明け暮れている事が当たり前になってくる。

しかし、金剛禅修行法には技=易筋行だけではなく、易筋行=(剛法、柔法、整法)中心にして肉体と精神をバランスよく調和させることが必要である。特に内修の示されている反省行や、感謝行、持戒行(持戒とは戒(いましめ)を守ること)などは日々の生活で実践することが求められる。

だからこそ、目的と手段を明確に修行(稽古)をしないと若い時には身体が動いても年齢と共に幸せに生きるためにとても大切な行なのです。

あうん、よりvol.48 修行の目的と手段

多くの禅僧の伝記を掲載している伝灯録に南嶽懐譲(なんがくえじょう)と馬祖道一(ばそどういつ)との問答が載っています。
 「道一がまだ悟りを開く前で、伝法院で学んでいるときのこと。彼は毎日、一生懸命座禅を組んでいた。そこを通りかかった懐譲禅師が聞いた。
 『お前は何を求めて座っているのか』
 『仏になろうと思います』
 懐譲禅師はどこからか煉瓦をひとつ拾って来て、道一が座禅している岩でごしごし磨き始めた。
 道一が不思議に思って聞いた。
 『一体何をなさっているのですか』
 『鏡を作ろうと思ってな』
 道一は吹き出した。
 『煉瓦を磨いたって鏡ができるもんですか』
 懐譲が言った。
 『座禅をしたとて、成仏できるものか』
 道一は瞬間、くらっとするものを感じた。
 『ではどうしたらよいのですか』
 『人が牛車を御していくとき、車が進まなかったら車をうてばよいのか、牛を打てばよいのか』
 懐譲が道一に言った。
 『お前は座禅を学んでいるか、それとも座った仏を学んでいるのか。
 もし座禅を学んでいるのなら坐禅は座る所にはなく・・・禅というのは、座って、心を静めることなのではない。静かだと思われるその静けさまでも打ち壊してしまわなければ、そこからも抜け出さなければ、その境地を得ることはできないのである。

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少林寺管長法話 Vol.97 誇りを持って一生懸命に取り組む

合掌
 4月、新しい年度の始まりです。
 マスクを外す場面も増え、社会全体が元の生活に戻りつつあることを実感いたします。また春のうららかな気候は、自然と私たちに希望をもたらしてくれます。
 さて、この春、新天地に身を置く方もいるかと思いますが、同じ場所であってもメンバー構成が変わるなど何かしら環境の変化があるのではないかと思います。しかし、私たちは世界のどこで生きようとも、自己確立、自他共楽の教えを役立てることができます。何か新しいことを始める場合、まずは自分自身の可能性を信じること、周囲に流されない強い意志を持ちましょう。初めは一人であっても凡事徹底して行うことで、周りからの信頼を得て、協力関係を築くことができ、より多くの人を幸せにすることができます。たとえうまくいかなくても、その原因を明らかにして、反省し、やり直すことで良い結果を生み出すことができます。

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毎週土曜日は体験参加歓迎します

 

  道院までの道順ご案内(動画)                                                                                                       https://instagram.com/p/CrLTMD9hK9U/

                                                          道院の修練 動画です。👆👆

 

 

咲きめぐる色とりどりの花      いきいきとした緑の息吹🌱

何か力が湧いてくるようなこの季節

 

何か初めてみたい…  自分を変えたい

もし、そんな気持ちを感じたら   いつでもそのときがチャンス‼️

少林寺拳法おすすめです👍

運動不足の解消や護身術を身に付けるのにもとても有効です。

一緒にわくわくしてみませんか🌈

 

  毎週土曜日、体験参加実施中です🎈✨

  見学のみも🆗です。お気軽にお越しください🤗

2023島原城南道院 新春法会

       

1月21日(土)20時〜

島原城南道院の新春法会を行いました。

飯塚道院長が導師を務め、導師献香、教典唱和、門信徒挨拶、精勤賞、役職任命を行いました。

門信徒挨拶では酒井副道院長が日頃の感謝の気持ちを述べるとともに今年も精進していくことの決意表明を行いました。

道師法話では「昨年はそれぞれが自分達の立てた目標に向かって努力し頑張った結果、それぞれ目標達成をしました。今年は行事を計画してわくわくするような活動をしていきましょう」など話をされました。

また、保護者会長挨拶では、「昨年から凶悪な犯罪が続いています。自分の身に置き換えて危機管理し、自分の身を自分自身で守れるように技も身につけてほしい。」と話をされました。

その後、色紙に書いた今年の目標をそれぞれ発表しました。

最後に昨年12月に四段に昇段した福島和哉拳士に飯塚道院長から金杯の授与がありました。島原城南歴代の通しナンバー10番が刻まれた金杯です。

今年もみんなで楽しみながらいろんな活動していきましょう🤗
まずは今日の一歩から👣✨

2023年修練初め

17日(土)

2023年修練初めでした。

小中高生は久々に勢揃いで元気な顔を見せてくれました😊✨✨

今年もよろしくお願いいたします😊🙏

新型コロナ対策のため当面の間、水曜日の修練はお休みし、土曜日のみの修練です。