最新の記事 | 島原城南道院 | Page 11

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Shorinji Kempo

映画 こんにちは、母さん 

  

2023年9月10日(日)

諫早駅から長崎駅まで新幹線で9分。

隣のアミュプラザ4階の映画館で「こんにちは、母さん」を妻と二人で見てきました。息子役の昭夫(大泉洋)は一流企業の人事部長役、母親役の吉永小百合の実家は人情味溢れる「足袋屋さん」大会社の人事部長として働く昭夫ですが、実は日々会社の人事問題で神経をすり減らしています。おまけに妻とは別居中 大学生のひとり娘・舞(永野芽郁)は両親に心を開かず、その関係にも頭を悩ませていました。後は映画をご覧になってのお楽しみ。

20代から40代までのサラリーマン時代を思い出し、少林寺拳法の修練日に会議が重なると手を挙げて「帰ります」と告げて道場へ通い、修練が終わってから又職場に戻り夜中まで書類作り等した事を思い出して、あの頃少林寺拳法をしてなかったら息子役の昭夫と同じ悩みに神経をすり減らされていただろうな~と考えさせられました。

道場での修練に全力で取り組み職場と家庭とバランスの取れた生活が出来ていたのは少林寺拳法によって気持ちの切り替えが出来て余裕のある日々を過ごせてたことに感謝しました。

法座 テーマ「少林寺拳法から学んだ事」

8月26日(土曜日)今回は「法座式次第」を行わずに車座になって行った。

★E,Sさん 初段准拳士    

少林寺拳法で学んだことは話をすること。小さい頃はとても人見知りであまり人と話せなかったが、少林寺拳法に入って自己紹介の練習などして人と話せるようになってきた。諫早の高校に進学し、周りが知らない人ばかりで緊張したが、少林寺拳法でやった自己紹介や自分から話すことを意識したところ自分から話すことができた。

夏の思い出は2つ。1つはインターハイに北海道まで行ったこと。とても大きな経験ができた。学校でもたくさん祝福してもらったし良い演武もできたし帰りには東京に寄って良い思い出になった。もう1つは夏休みがすごく短く今週から2学期がスタートしているが、登校日に友達からインターハイのことを聞かれたりして嬉しかった。今日は文化祭だった。すっごく楽しみだった。出し物も楽しかったし、高校生だから経験できることがたくさんある。進学する前は迷ったがとても良い経験ができている。これからも悔いのない高校生活を送ろうと思う。

★J.Sさん 初段准拳士   

少林寺拳法で学んだことは平常心。何かあったときも落ち着いて行動できるようになった。少林寺拳法に入ったすぐの頃はわちゃわちゃしたりしていたが飯塚先生から打棒の意味を教えてもらって、鎮魂行の打棒のときに平常心を意識していたら、学校などでも緊張する場面でも緊張せずにやれたり、最近はオープンスクールで人がたくさんいてすごく緊張したが、落ち着いて楽しめた。夏休みはずっと家から出ず宿題やアニメをみたりごろごろしていた。精霊流しにお母さんと行った。夏休みに久しぶりに外出し、爆竹も久しぶりにきいて、新鮮だった。テレビでみた長崎のとは次元が違うがそれでもすごくて、いいなと思った。

★H.Tさん 三段中拳士   

今年の夏はやたらと暑かった。ぼーっとしていて今日なんかは鉄板を抱えていたがバチっとはさんでしまったが、少林寺拳法をやっているおかげでやばいと思った瞬間に抜くことができて怪我はせずにすんだ。抜いた瞬間に自分でもびっくりした。

★S.Tさん 初段准拳士 

少林寺拳法で学んだことは、人との関わりが大きいと思う。コロナの関係でなかなか会えないが会えたらあわせていきたい。夏休みはないが、仕事が休みの日に両親と鹿児島に行った。介護の仕事をしているので自分のおばあちゃんにも優しくしたいと常に思っている。

A.Mさん 六段大拳士  

最近、職場で夏バテになっていたり、仕事が忙しくて書類の夢しか見ないという話が出たり、その人の状況にもよるけど、気持ちの切り替えが出来ずに、夜もあまり眠れず体がきついまま職場に来ている人がいる。私も疲れて書類の書面しか出てこない夢を見たことがある。少林寺拳法をしている事によって家と仕事の往復だけではないので、稽古に来て、いろんなことを学んで刺激が入ったり、いつの間にか帰りには少林寺拳法の事を考えている。気持ちの切り替えが出来ているのはとてもいいなと思っている。

道場へ行くといろんな人に出会い、話をして学ぶことがあるので自分自身を振り返れるのでとてもいいです。                                     夏の思い出は、お盆は実家に帰っているが今年は仕事なので「精霊流し」を見に行った。随分前に姉と一緒に長崎の精霊流しに行った事を思い出し、「あ~姉と一緒に行って見たな~」と懐かしくなった。

T,Hさん 

私は、仕事の関係から下を向いてパソコンや顕微鏡などを見ることが多く首の痛みが続くので病院の整形や整骨院、飯塚先生のカイロに行き治ってから毎週通っている。治療の時に時々少林寺拳法の事は聞いていたんですが先生から、「少林寺拳法をしませんか」と誘われたので考えました。行きだしたら毎週2回水曜日と土曜日休めないので悩んだ末に来ました。

少林寺拳法で学んだ事は、黒帯の人が技を見てくれて指導してもらう時に「ゆっくりやってください」と声をかけてくれて、間違うと「もう一度やってみましょう」と優しく言われ、「こんな教え方があるんだとびっくりしました」大学病院時代から職場で指導する時には一方的に教えたり、大きな声で教えたりするので今後は後輩に優しく教えられたらいいなと思います。

S.Sさん 五段大拳士 

少林寺拳法から学んだ事は、過去の自分と今は、はっきり違います。何が違うのかと言えば他人に対する態度や言葉使いだったりします。前に、法話の中で先生から「無財の七施」の中にある「和顔施」の話があり、職場で後輩の面倒を見ているのですが、「仕事にみんな苦しい時ほど笑顔でいようね」と話しています。

道場に打棒棚を取り付けてスッキリ

8月18日(金)道場に打棒を受ける金具を注文していたのが届いたので夕方からひとりで簡単にできると思い、準備して取り掛かるも水平バランスや上下の間隔が小学生用打棒と一般用打棒との左右の長さのバランスを何度も鉛筆で印をつけて仮止めしては、やり直し何とか見た目にバランスが取れたところで妥協して本止めする。

 正面右の棚に拳士の荷物置き専用だけど、道院長用の棚が2枠、2段にプロゼクターやその備品ケース、カメラケース、スピーカ、教範や資料集など,ごちゃごちゃとしている感じなのでこの際に片づけようと悪戦苦闘してやっと終了したのは何と3時間半経っていた。

この日は世界大会の練習に来る人達が8時に来るのでエアコンも扇風機も付けたままで食事に自宅へ帰る。

 

法を問い学を修める No61 愛と慈悲

『愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生じる。愛するものを離れたならば、憂いは存在しない。どうして恐れることがあろうか。』
 (「真理のことば」(ダンマパダ)第十六章 愛するもの212」

 仏教では「愛は渇愛であり、渇愛とはのどがかわいて水を求めるように、激しく執着すること」と捉え、欲望の一種であり、煩悩として捉えているために渇愛から離れることを理想とした。
 たしかに愛の典型的なものは一般的には男女の愛情のことと考えられているのではないだろうか。しかし愛はそのまま慈悲ではない。愛には自分だけのものにしたいという独占欲や支配欲に結びつきやすい側面がある。
 愛は常に憎しみに転じる可能性をもつ。しかし慈悲は愛憎を超えた絶対の愛である。人を憎むということがない。
 『原始仏教においては、まず人間が利己的なものであるという現実の認識から出発するのである。
 

 或るときパセーナディ王は、マツリカー妃とともに宮殿の上にいたことがある。その時の対話の中で「マツリカーよ。お前にとって自分よりももっと愛しいものが何かあるかね。」王は或る答えを予期していたのであろう。甘い答えを。ところが妃ははぐらかしてしまった、「大王さまよ。わたしにとっては自分よりももっと愛しいものは何もありません。」最愛の人々の間でさえもこうなのである。
 妃はさらに反問した。「大王さまよ。あなたにとっても自分よりもっと愛しいものがありますか。」
 「マツリカーよ。わたしにとっても、自分よりももっと愛しいものは何も無い」
 王はおそらく興ざめてがっかりしたであろう。彼ひとり宮殿から下りて、釈尊のところへおもむいてこの次第を告げた。そのとき釈尊はこのことを知って次ぎの詩句を唱えたという。
 

「思いによっていかなる方向におもむいても、自分よりさらに愛しいものに達することはない。そのように他の人々にとっても自分がとても愛しい。それ故に自己を愛する人は他人を傷つけることなかれ。」と述べられたという。』(「原始仏教 その思想と生活」中村元著)
 慈悲とは「いつくしみ」「あわれみ」の意味であると普通に理解されている。
 「慈」と「悲」とはもとは別の語であった。
 「慈」とはサンスクリット語のマイトリー (maitrī)またはミトラ(mitra)という語の訳であり、真実の友情、純粋の親愛の念を意味するものである。
 

 これに対して「悲」とはパーリ語及びサンスクリット語のカルナー(karunā)の訳であるが、「やさしさ」「あわれみ」「なさけ」を意味し、相手の悩みを取り除いてあげたいと思う気持ちである。
 南方アジアの上座部仏教においては「慈」とは「人々に利益と安楽とをもたらそうと望むこと」(与楽)であり、「悲」とは「人々から不利益と苦を除去しようと欲すること」(抜苦)であると註解している。

 慈悲の実践は社会の不正や理不尽な行為に、ほうっておけない憤りと悲しみを我が事のように感じ、どうにかしてあげたい、手を差し伸べずにはおれないと勇気をもって行動することである。
 開祖のいう愛とは『してあげる、与えてあげることで喜びを感じる感情。あるいは、反対に自分が苦しんだり困っているときに、素直に他人の行為を受けいれられる、そういう意味で豊かな心を持った人を、私は育てたい』と述べられている。
 ※参考文献 慈悲 中村元 講談社学術文庫

法を問い学を修める 自燈明 法燈明

もうかなり昔、夏の恒例行事であった指導者講習会に参加した。
 多度津町の民宿はどこも若い拳士でいっぱいだった。
 夕食を済ませ、再び本山へ登り本堂に集合すると、道場の中央に1本だけ灯(とも)されたローソクを起点に、隣の人から人へと灯(ともしび)をリレーしていった。

 電気を消して先ほどまで暗かった本堂に、灯の明るさが増す中、鈴木義孝元金剛禅総本山少林寺代表(現 SHORINJI KEMPO UNITY 顧問)から「この灯は宗道臣管長(開祖の当時の呼称)が灯してこんなに大勢の人たちに伝わり広がった。この灯は人から人へと受け継がれていき、少林寺拳法が世の中を明るく照らす灯になる」と話された後、全員で教典を唱和し、聖句「己れこそ己れの寄るべ、己れを措きて誰に寄るべぞ、良く整えし己れこそ、まこと得がたき寄るべなり」の声が厳粛な雰囲気の中で響きわたったあの感動は、今も忘れられない。  

『ブッダ最後の旅』(中村元訳 岩波文庫)には、ブッダ(釈尊)が最後の説法の旅に出てその途上での出来事の中で、弟子たちや信者たちに遺戒となったブッダの死とその前後のことが詳しく語られている。
 ブッダは旅の途中で雨期の定住に入られたとき、恐ろしい病が生じ、死ぬほどの激痛が起こるが、苦痛を耐え忍んだ。そばにいた愛弟子のアーナンダが「尊師が修行僧たちに何ごとか教えを述べられない間はニルバーナ(涅槃)に入られることは無いであろう」とブッダに告げると、「アーナンダよ。修行僧たちはわたくしに何を期待するのであるか? わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。完(まった)き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握(にぎり)拳(こぶし)は、存在しない。『わたくしは修行僧の仲間を導くであろう』とか、あるいは『修行僧の仲間はわたくしに頼っている』このように思う者こそ、修行僧のつどいに関して何事かを語るであろう。」
 「それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。」
 「アーナンダよ。あるいは後にお前たちはこのように思うかもしれない、『教えを説かれた師はましまさぬ、もはやわれらの師はおられないのだ』と。しかしそのようにみなしてはならない。お前たちのためにわたしが説いた教えとわたしの制した戒律とが、わたしの死後にお前たちの師となるのである。」
 「さあ、修行者たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成させなさい』と。」これが修行を続けて来た者の最後のことばであった。

教えを説かれた開祖は、もはや私たちの前にはおられない。開祖から受けた教えに頼り、自己に頼り、他者へ教えの灯を照らすことが、教典の最初に自己確立の教えを持ってこられた開祖の願いでもあったはずである。
 わたしたちは、開祖の教えの光を受けて信念を確立し、金剛禅へ帰依し、自分の人生をたくましい生き方へと変えることが出来た。
 開祖の「自分は可能性の種子、努力次第で開花結実させることができる。自分で自分をあきらめるな」と力強く語られた言葉を聞いたとき、身震いするほどの感動を覚えた。
 開祖から受けた教えを拠り所とし、その教えを今度は自らが光となり、他者へ受け渡していく役割がある。
 自己を燈(ともし)火(び)とし、教えを燈火としているのかどうかが問われている気がしている。 

島原城南道院 道場までのご案内

 

 🗺島原城南道院 道場までのご案内🗺

島原中央道路の島原外港ICからのルートをご案内します🚗

島原外港ICを降りて左折後200メートルほど直進した右側です😃

 

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道場までのご案内(動画)

管長法話 Vol.101 夏の過ごし方と平和への思い

合掌osawa
 8月に入りました。
 今年も大変厳しい暑さが予想されます。子どもたちにとっては、思い出に残るたくさんの楽しみがあるとともに、宿題もたくさんやらなければならないのは、昔も今も変わらないのではないかと 思います。遊ぶことを優先すれば宿題はいつまで経っても終わりませんし、宿題に時間をかければ遊ぶ時間が削られてしまいます。
 厳しい暑さを理由に、目の前のやるべきことから逃げたくなるのも人間です。しかし、どれだけ大変なことも、自分が好きなこと、自分の好きな人のためならば頑張れるのも人間です。最初は気が乗らなかったとしても、そこに楽しさや価値を見出すことができれば、誰に言われなくても一生懸命に取り組むことができます。困難な状況に遭遇した時、その状況を嘆くのではなく、どうやったら目の前の状況を楽しめるか、どうやったら身の周りの人たちを喜ばせることができるかを考えて行動に移すことで、自らの力で現状を変えることができます。 それが自己確立、自他共楽の生き方です。
 また、8月は終戦記念日があります。「二度と戦争を起こしてはならない」という開祖の思いから少林寺拳法は始まっています。21世紀になって20年経った今も、残念ながら戦争はなくなっていません。私たち日本人の多くは戦争を直接、体験してはいませんが、私たちの今いる社会も、今あるこの命も多くの犠牲の上に成り立っていることを忘れてはなりません。戦時中は多くの命が無慈悲に奪われました。「もっと生きたかった」「平和な世の中を見たかった」という願いに対し、私たちはその後の世界を生きる者として相応しい生き方ができているでしょうか。
 開祖は、すべては「人の質にある」と説かれました。信条にある「世界の平和と福祉に貢献する」ために、私たち一人一人が、人としての質を高め、拳技としての少林寺拳法で終わるのではなく、世の中の役に立つ人となり、社会を良くしていく原動力となれるよう取り組んでいきましょう。
 夏本番、厳しい暑さが続きますが、熱中症には十分に気を付けながら、今月も金剛禅運動に邁進していきましょう。
合掌再拝

インタハイ 報告会

        インターハイ報告会        佐々木えり夏

インターハイに参加して笑顔で終れたので良かったと思います。自分が目指していた245点に1点足りなかったけど、内容的にいい演武が出来たので悔いがありません。

途中で秋篠宮様が来られ、女子組演武の時に見られてお付の方が競技の説明をされているのを見て、みんな緊張されているなと感じました。自分が競技を見て感動したのが女子団体演武の武雄高校の予選がすごくかっこよくて鳥肌が立ちました。                      

準決勝、決勝では予選ほどの演武が出来なかったようですが予選はほんとすごくて1位で通過していました。全体的に九州大会(熊本県)でも言われていましたが、男子よりも女子がキリッ!としてかっこよかったし、憧れだなと思ったし、来年もチャレンジして出場したいと思います。直さなければならない箇所もたくさんあったし、浦先生からもアドバイスを受けている部分を努力したいと思っています。これからもご指導どうぞよろしくお願いします。ありがとうございました。

インターハイのお土産を道院のみなさんへたくさん持ってきていただき感謝です。

飯塚道院長からのコメント

長崎県のインターハイ予選、熊本県での九州大会、そして北海道でのインターハイ出場へと繋がったきっかけは、学校にも少林寺拳法クラブも無い、高校も4月に入学してすぐに先生へ「私は少林寺拳法でインターハイの出場をしたいんですけどいいでしょうか?」とダメで元々で(^.^)自分から尋ねたら「いいですよ。協力しますよ」と言っていただいた。そこから、今回のインターハイへのチャレンジが始まっているのです。

道場へ来た時に「先生インターハイへの出場を学校が許可してくれましたので出場します」というので、エー!と驚きでした。そこで考えたのが、期間が1か月ほどしかない中で、審判員が最も重視するのは技の正確度、動きのキレや冴えを細かい腰、股関節、膝が連動する動作を意識出来たら可能性がある。   

そのためには、技の構成や残身など大枠の部分を弟が毎年最優秀に輝いていたので先ずは一緒に練習しながらタイムや動きで気づいた箇所を直してもらうように頼むとすぐに全体の出来が良くなった。                                         自分が本気になって素直に取り組んだら指導の言葉は染み込むように吸収していくものだと改めて実感した。                                      とにかく、修練に来るたび自分で変わって行った。                     

継続は力というが、小学生から修練を続け、ある段階で急に成長曲線が上昇する事が起きるが自分から挑戦した事で長崎県予選会で最優秀を獲得し、九州大会での体験、北海道での全国大会での同じ少林寺拳法を修練している高校生の姿を目の当たりにしたのは青春の多感な時期に素晴らしい経験がこれからの人生に大きな財産となることだろう。

いつも、感心するのは競技だけの世界だけに没頭するのではなく、教えや仲間や道院の雰囲気が自分を育てていると言う。

金剛禅が求めている「人づくり」の道を歩んでいる。

 

 

強くて 優しくて かしこい人を育てたい 開祖

7月23日の「出川哲朗の充電させてもらえませんか」の番組を見ていたら「高知&徳島」で取材している場所に自転車で来ていた子どもが出川に「時間が取れるようでしたら自分のお店にも寄って欲しい、カフェ店をしてます」と答え、じゃあ行ってみようとたつみ君のお店に向かいだします。

お店までの途中で信号機があり、「ここで撮影のスタッフの人たちを一旦待ちましょう」と全員が揃うと、「では行きましょう」と進みます。

テンパっている時ほど冷静になるそうだ。

「出川がどうしてお店に連れて来たの?」と聞くと、「お店の知名度が上がるから」と答えます。「お店は11時からなのでそれまで近くに神社があるのでお参りにでも行ってきていただいてから来てください」と配慮を見せる。 聞くと小学3年生という。番組を通してなんと賢く、周りの人に配慮を見せる姿に

開祖は「強くて 優しくて 賢い人を育てたい」と在りし日の講義で言われた言葉を思い出した。

開祖が望まれた「強くて 優しくて 賢い人」を育てたいと心から思う。

宗 道臣デー 「発表の部」 「体験参加の部」 「知的障害・発達障害の世界を体験してみようの部

   7月2日(日曜日)島原アーケード内のサンプラザ万町で宗道臣デーが開催され、拳士と一般の方約40人が参加し賑わいました。

宗道臣デーは少林寺拳法の創始者の想いを実践する活動で、今回は「身近な人の役に立つ」をメインテーマにみんなで内容を考えました。

小教区長馬場高嗣の開会あいさつで宗道臣デーが開幕。「発表の部」「体験の部」「セミナーの部」の三部構成で実施しました。

〇発表の部

演武、作文、護身術が発表されました。

演武発表では日頃の稽古の成果を披露しました。作文発表では少林寺拳法を通して自身が変化したことなどを3名が発表。護身術発表では子ども、女性、シルバーの3種類にわけて発表し、ユーモアのある解説に会場からは笑いも起こりとても和やかな雰囲気

「少林寺拳法を習って自分が変化した事」中学3年生       護身術発表 親子で参加

準備運動、キックミット体験、すぐできる護身術、坐禅会で盛り上がりました。

準備運動では制限時間内に少林寺拳法の挨拶を会場の何人とできるか競い身体と心をほぐしました。キックミット体験では初めてと思えないような突き蹴りをする方も多く皆さん笑顔で体験していました。すぐできる護身術では逃げることが最大の護身とした上で掴まれた時などの対応を学びました。坐禅会では丁寧な坐禅や呼吸の方法の話を聞き実際に坐禅を体験しました。

      護身術体験 お互い初めての体験者も楽しく取り組まれています。

    護身術の見本指導 相手に手をつかまれて引っ張られている時の守り方

長崎よかよか隊の講師の皆さまによる「知的障害・発達障害の世界を体験してみよう」の体験型セミナーがあり、伝えたいけど伝わらない・わかりたいけどわからない体験や「ちょっと」や「ちゃんと」を具体的に絵に描いてみる体験などを通して知的障害・発達障害やコミュニケーションの大切さについて学びました。

伝えたいけど伝わらない言葉、「ちょっとだけ」や、「ちゃんとして」を絵に描けない。     「リンゴ」や「ボール」は書けるし、イメージもできるのに「きちんとして」は相手に伝わらない。指導の時に同じような言葉を使っていないか?考えさせられた。

手に持っている用紙の四角の枠の中に抽象的な言葉を書けなくて、相手に伝わる優しさを学べるセミナーになりました。

最後に中島良平長崎有家道院長の閉会あいさつで盛況のうちに無事閉幕しました。

新型コロナウイルスの影響があり4年ぶりに集合型で開催でき、集まれる喜びを感じました。

参加者は子どもからお年寄りまで幅広く参加いただき、笑顔で体験している姿がとても印象的で、「楽しい少林寺体験と障害の理解がわかりやすく学べて参加して良かった。」「笑顔が溢れるステキな時間でした。」など嬉しい感想が聞けました。

今回は広報活動にも力を入れ、インスタライブの実施、島原市内各地にポスター掲示などを行ったお陰か、数人の方から問い合わせがあり、広報の効果も実感できました。

今後も人の役に立つ活動を継続して続けていきたいです。