法座のすすめ
『私達は信をおなじうし、道をともにする人々の結合によって、真の意味における僧伽(佛教者の結合)を設立せんと念願するものである。』(『教範(初版・復刻版)』第四章宗教編三「主張」)
金剛禅は人の心を改造することで拝み合い、援け合いの理想境建設を目指している。
その手段として主行たる易筋行と鎮魂行とを両輪の修行として取り組んでいる。
そして、この道を行じるための意味を改めて確認する機会として、金剛禅の儀式には「入門式」「新春法会」「開祖忌法要」「達磨祭」などがある。
これらの儀式は布教の一環として、門信徒はもちろん、家族や金剛禅の活動を支援してくれる人達に教えを正しく理解してもらう絶好のチャンスである。
法話を通じて繰り返しこの道が「人づくり」のために創始された目的を明確にすることで、一人でも多くの人々に理解を高めることができる。
また、日々の修練の節目に金剛禅門信徒の修行法である内修の消極的に分類されている「感謝行」「反省行」「持戒行」にも心を配り、調和のとれた修行を行うのに適した「法座」がある。
阿羅漢会=「感謝行としての場」、布薩会=「反省行としての場」、法座=「修行内容の点検や行動目標設定などの場」が用意されている。
阿羅漢会としての感謝行は、拳士はお互い住居は別々でも食事を共にすることで食養の意義や共食を通して共に僧伽(さんが)の仲間意識を高めることが出来る。
拳士や保護者は、お菓子や飲み物、果物などを持ち寄り、場を盛り上げるような企画をして食卓準備を整え、儀式の中に「鎮魂行」「褒賞」「感謝のことば」「法話」などの式次第を入れ、阿羅漢会の意味を伝える。褒賞には大会への出場者や、昇級・昇段試験での合格者、さらには学校等での表彰者をお祝いし、日常生活の中で些細な事にも感謝の心を持ち、その心境を全員の前で発表する。そこには喜びがあり、笑顔があふれている。
布薩会としての反省行は、初期の仏教教団においても僧伽に所属する出家修行者が一ヶ月のうち二度、懺悔する時期が決まっていた。例えば『満月の晩になると必ず「ウポーサタ=布薩」という儀式が行われる。その時に代表になった人が真中に出て「戒本」というものを唱える。戒本というのは、そういうことをしてはならぬ、こういうことをしてはならぬという規則である。その規則を一カ条ずつ唱える。暗記しているのを唱える「こういう罪を犯した者はいないか」と一カ条ずついうのである。そうすると罪のないものは沈黙していた。黙っていた。経典に「罪のないものは沈黙していよ。罪を犯したものはそれを懺悔せよ」と書いてある。たとえば「嘘は言わなかったであろうな」ということをいうと、嘘をついた者は立ち上がって「わたしは実はこうこういうときに嘘を申しました」といって懺悔する。自発的にいうのである。』(「いのちの風光」紀野一義著 筑摩書房)
道院においても「布薩会=反省行」を不定期に実施することによって修行に向き合う人が真実の魂に触れ「良く整えし己れこそ」へと変わっていける。
多くの法話が一方的に布教されるのに対して、参加者全員が車座になっていろいろなテーマ(例えば修行内容の点検や行動目標の設定)を相互に話し合いながら教化し合う方法に「法座」がある。
これらの法座が信を同じくする人たちにより、日常生活の具体的な悩みや悲しみにも向き合い、ともに語り合って苦悩を乗り越え、人生を精神的に強く、安らかな心で生きていける教化の場となれるように取り組んでみませんか。
(2019年1月1日 文/飯塚 久雄)