修身教授録 森信三著書より

9月16日 少林寺拳法の修練日の法話の時間に中学生、高校生に特に聞いてほしいと自分の経験も含め、師にめぐり会ってからの人生が正にこの「尚友」に書かれている内容だと気づかされたからである。

第10講   尚 友

これは友を尚ぶという意味で、この言葉は読書と並べて、古来「読書、尚友」というふうに使われている言葉であります。

  人を知る標準としては、第一には、それがいかなる人を師匠としているか、ということであり、第二には、その人がいかなることをもって、自分の一生の目標としているかいうことであり、第三には、その人が今日までいかなる事して来たかということ、すなわちその人の今日までまでの経歴であります。そして第四には、その人の愛読書がいかなるものかということであり、そして最後がその人の友人いかんということであります。自分の一生の目標を何と立てるかということも、結局はその人が、師の人格に照らされて初めて見出されるものであって、人間は師をはなれては、生涯の真の目標も立たないと言ってよいでしょう。

またいかなる書物を愛読するかということも、結局は師の教えに照らされて、おのずから見えて来ることでしょう。またその人の過去の来歴というようなことも、その人が自分の師を発見しない間は、いりいろと彷徨して紆余曲折もありましょうが、一たび心の師が定まった以上は、迷いもおのずから少なくなり、また自分一人では決し得ないような大問題については、師の指図を仰いで身を処しますから、結局大したつまずきもなくなるわです。かくして今友人関係において、真に尊敬するに足る友人とは、結局は道の上の友ということでしょう。したがって道の上の友ということになると、結局は師を共にする場合が多いと言えましょう。つまり同門の友というわけです。                                        《修身教授録 森信三著 致知出版社》

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