臨済宗円覚寺派管長横田南嶺著書
「二度とない人生だから、今日一日は笑顔でいよう 」 = 生きるための禅の心= より引用しています。
横田管長は坂村真民氏の詩集を毎日お寺の掲示板に掲載し続けている。「生きていくのがつらくなったり、苦しくなったら、祈ってください。神様でも、仏さまでも大自然でもご先祖さまでも、何に対して祈るのでもかまいません。 とにかく自分を超える何か大いなる存在の前にひれ伏して祈り続ける。すると不思議と生きる力がわいてきます。
『祈り』という言葉には深い意味が込められています。祈りの『い』は『いのち』や『生きる』という意味です。『のり』は『祝詞(のりと)』という言葉に代表されるように、宣言することを意味します。つまり『祈り』とは『生きると宣言する』ことなのです。」
苦しいことやつらいことに直面した時、人は祈りを捧げます。それはどんなにつらいことがあっても、死なずに生きていくのだ、といういのちの宣言なのです。
私たちは生きなければなりません。たとえ孤独にうちひしがれ、愛する人を亡くし、地べたにはいつくばって、塗炭の苦しみを味わってもなお、人は生きなければなりません。なぜならその先に光があるからです。
真民先生はこのように書いています。
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ
怒涛の海を
飛びゆく鳥のように
混沌の世を
生きねばならぬ
鳥は本能的に
暗黒を突破すれば
光明の島に着くことを知っている
そのように人にも
一寸先は闇ではなく
光であることを知らねばならぬ (『鳥は飛ばねばならぬ』より)
一寸先は闇ではないのです。闇だと思っても「生きるのだ」「生きるのだ」と祈り続けていれば、必ず光がさしてきます。私はこの「生きねばならぬ」という心を、次のような言葉で説明しています。
『明日はどうなるかわからないけれど今日1日は笑顔でいよう。つらいことは多いけれど今日1日は明るい心でいよう。いやなこともあるけれど、今日1日は優しい言葉をかけていこう』